「無門会空手 福岡本部道場」の歴史
-
1989年「格闘技通信」という月刊誌(ベースボールマガジン社)に掲載された「富樫宜資と無門会空手」の記事が、私の人生を大きく変えました。
他のどこの世界にもない「空手を極める世界」を体感したい一心で、合宿、講習会と、参加させて頂いたのが始まりでした。当時は、(九州の地で)自分以外の稽古相手は皆無で、一人稽古を中心としながら、大阪、東京に出向き、合宿、講習会、大会・・・と、できる限り参加しながら自分を磨いていました。
仕事以外の時間は出来る限り稽古に当て、仕事同様に空手の稽古も、自分の人生の仕事として取り組みました。周りからは、「夢で飯は食べられない・・・現実を見ないといけない・・・」とか言われていましたが、私にとっては馬耳東風という感じで、「絶対、空手道で生きていく!空手の道を極めていく!」との強い思いを持ち続けていました。
一人稽古では、やるもやらぬも自由な選択です。
まして道場(当時は借りていた公共の武道場)に行っても誰もいないのなら、行く事も行かない事も自由なのです。
しかし私には、行かない、やらない選択は全くありませんでした。
それは目先の楽よりも、将来の目的意識が遥かに勝っていたからだと思います。
一人でもノルマ(基本稽古の量的本数)を掲げて、2時間強ノンストップでやっていました。
仕事の休みの日は、4時間・・6時間と通常より長い時間を稽古に費やしました。 -
・1996年からは少年部活動
・2000年には念願の常設道場設立
・2003年には現在の福岡本部道場設立
・2010年にNPO法人化(NPO法人武道アカデミー)
・2022年は福岡本部道場設立から19周年となり、私が無門会空手と出会ってから33年目(それ以前は、沖縄空手道7年)となります。無門会空手漫画 「薫の拳」
無門会空手直轄支部スタート当時(1991年~)は一人から始まり、少しずつでも人は増えましたが、一人稽古がほとんどで、全国の他の支部から比べると、層の違いは歴然としていました。
それでも志だけは高く持ち、「いつかは全国No1の実力になる。全国支部最大の人数になる。黒帯数も日本一になる(レベルの高い稽古が出来る環境をつくる)。そしていつでも自由に稽古ができるマイ道場(常設道場)を持つ!」と、固く心に刻んでいました。空手道に懸けた想いは、そのまま実践へと結びつき、想いの強さは継続の力となり、継続の力はやがて、想いを現実化へと導いてくれました。
人生には、生きるための法則があります。それは目に見えないもので、人の話を聞くだけでは実感しにくいかもしれません。だからこそ、自分で実践(行動)して掴まなければならないのです。
それこそが、自分の哲学(生きる教本)となり、支えとなり幹となるのです。福岡本部道場設立から今日まで、少年部の歴史は20名(内、女子3名)の黒帯を輩出しました。
黒帯取得に際し、全員に共通する法則(行動)があります。1・自分の決めた稽古日は極力休まない。自己都 合で勝手に休まない。
2・稽古以外の行事ごと(合宿、講習会、特別稽古、大会等)も、ほとんど参加している。
3・10年以上継続している。そして最も大事(成就の秘訣)だと思うのが4・沸騰(100℃で気化)するまで、同じ熱量を加え続ける。ということです。どういう意味かと言うと・・ -
仮に黒帯を沸点とすると、沸点に達するまでは、同じ熱量(稽古時間、行事)を継続していくということです。
小学校の時に週3稽古であれば中学でも週3、週2であれば週2、週6であれば週6です。部活をしていようが、空手だけであろうが同じです(全員がその実践者です)。
沸点に達すると液体が気化されます。それが量質転化です。ステージが上がり高度な世界を築いていきます。やらない理由(言い訳)は、やらない行動の習慣を作ります。
人間は習慣で行動する生き物です。良い習慣であれば、より良い未来を築いていきますが、マイナスの習慣は成長のブレーキとなります。今の私を創っているのは、40年間の空手道で培った習慣です。
生きる支えは、これまで歩んできた道のおかげです。
その道が砦となり幹となり創造となっています。何をやったか!ではなく、どれだけやったか!
広さも大事ですが、人間を創るのは深さです。
武道を通じ、皆さまの人生が豊かで深く頑健でありますよう、心よりお祈り申し上げます。日本空手道無門会 福岡本部 師範
古川 恭司